舞台は宮崎県延岡市。森と海の豊かな自然に恵まれ、幾筋もの清流が流れ込むこの地には、26年間続く「第九を歌う会」という市民活動がある。今年もまた、桜の木が青く萌え、鯛名町の草フグの産卵が始まる頃、年末のステージに向けた結団式が開かれる。田植えの季節が美しく流れていくころ…。
齢八十を超えた老夫婦、生き方に悩み惑う少女、僻地医療を支える医師、畜産で命を育み音楽を愛す母、バイオリン作りに魂を注ぐ職人。そんな様々な団員達のサポートに情熱を燃やすが自身は決して歌わない離島の女。「音楽」という名の縦糸と「人」と言う名の横糸が交差して、その年ごとの人生模様を含んだ合唱が作られるのだ。
季節は夏。道標を探して飛び込んだ第九の世界で、少女は迷い、苛立ち、沈んでいた。しかし、そっと寄り添い温かく見守る仲間に支えられ、少しずつだが前を向き始める。秋、診療所の医師は僻地医療の限界に直面しながらも、妻と力を合わせて命を守っていく覚悟を新たにする。冬、遠く離れた都会の片隅で心をざわつかせる男もいた。20年前、第九を歌い輝いていた故郷を捨て、未だ成功者になれず帰る場所を失った男だ。
そして北東の風が吹き始める12月。今年もまた第九の幕が開く。
団員達の緊張した顔にライトが当たり、荘厳だかどこか懐かしいメロディーが流れ始める頃、島野浦の女は一人港に立っていた。堤防に打ち寄せる波は拍手の音。目を閉じれば自分もまた仲間と共に舞台に立っているようだ。「でも、私はここにいる」。東京の以前仲間だった男は酒をあおり、公園のベンチでたった一人第九歌う。調子の外れたその歌は、夜空をつたって故郷に届くようだ。
歓喜の歌が第四楽章に入る頃、舞台に立つ人たちの顔が緊張から誇り高い表情へと変わる。
「今年も、来年も、声の続く限り私は歌う」
「合唱で皆と元気を分かち合いたい」
「私にとって第九は故郷そのもの。いつまでも守り続けたい」
さまざまな思いや、それぞれの人生の流れが交差して生み出される第九の合唱。その力強いハーモニーが、新たな故郷を作りだしていくのだ。
延岡の四季は、歴史は、風土は、第九だけでなく多くの素晴らしい文化を確実に膨らませている。第九のこの映画は、音楽映画ではなく、故郷の人々の生活の「交響曲」賛歌として必ず皆さんのもとに登場するだろう。
東日本大震災で被災されたり、亡くなられた人々の悲しい辛い思いと重なり合うように私たちは、故郷再生・復興の決意と誇りを持ってこの映画を全国の皆さんに送る。ここに登場する人々は、約500人以上にも上る。
手の届くところにある故郷が、私たちのこころ。
延岡方式の映画づくりとは
映画「ここに生きる」は、市民プロデューサー、市民カメラマン、登場人物そして宣伝、配給に至るまで、製作委員会のメンバーと細かな打ち合わせを行い、進めていきます。
手作りの映画製作が少しずつ消えていく中で貴重な製作方式です。あなたの涙が脚本になり、お母さんの微笑みが映像になり、満開の桜の下で記念写真を撮るデイケアのお年寄りの緊張がメロディーにかわります。市民の知恵と、感性が『不器用でもあたたかいものを…』。
置き忘れていったもの…
北川・祝子川・五ヶ瀬川・大瀬川の河川が森の豊かな恵みをうけて黒潮に流れ込むところ宮崎県・延岡市。海岸部から九州山地に向かって掌を開いたように美しい扇状地を抱え、一年を通して水が枯渇したことのない水郷の街。そして、農業、漁業、林業の第一次産業が大きく育った街でもある。だから、その自然の中に生きたこの街でしか成し遂げられなかった不思議さも数多く持っている。
この街は、延岡藩の城下町として栄え、古くから豊かな独自の文化と気質を作り上げてきた。映画『ここに生きる』は、この地に26年続いている「のべおか第九を歌う会」のメンバーの個性、苦悩、笑いと涙を縦糸に、市民とふるさとが横糸として織り込まれるドキュメンタリータッチの一年間を綴ったものである。今の日本ほど「ふるさと」について問われている時代はない。戦後66年間、復興という名のもとに全力で走り続けてきた日本が置き忘れていったもの…。
ベートーベンの「歓喜の歌」をうたう少し得意げな顔・顔・顔に自分自身の誇りとふるさとへの想いとこれからも生きていく者たちへの優しいまなざしがある。






